でたらめだったら面白い

日々思いつく僕の話について適当に垂れ流しています。

僕の趣味が高じた結果、Chromebookについてまとめて比較して評価してみる話。(レビューは後日)

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そもそもChromebookってなんぞ?

 一言で表現するなら、「必要最低限ギリギリのラインまで究極的にスリム化された超低価格ノートパソコン」とでも言いましょうか。インターネット(クラウド)に全てを委ねることで、そのスリム化と超低価格化(2〜4万円)を実現したパソコンです。

 昔、ネットブックという超低価格パソコンがほんの一時期注目されました。これもChromebookと同じように、その機能をスリム化することで、簡単なインターネット閲覧に特化されたパソコンでした。しかしネットブックは今の市場に影も形もありません。様々な理由が言われていますが、その機能面の弱さや遅さが衰退の原因ではないかと考えられます。

 その点、Chromebookは、次項で述べるChrome OSを採用し、時代とともにクラウド技術が進歩することで、ネットブックの弱点を克服しました。日本では2014年7月になってようやく初めて法人向けの販売が開始されましたが、これはIT最先進国であるアメリカに対して大きな遅れを取っていると言わざるを得ません。アメリカでのChromebook市場の成長はとてつもないものがあり、Chromebookは、今までのWindowsMac一辺倒だった業界を席巻する黒船のような存在と言えます。

Chromebookの実態をできるだけ簡単に言うと?

 Chromebookとは、OS(WindowsとかAndroidとかiOSとかそういうの)として、Chrome OSという、Google謹製のそれを搭載しているノートPCのことを言います。みなさんChromeという単語に聞き覚えがあると思います。もちろんこれはブラウザ(インターネットエクスプローラーとかそういうの)のひとつであるChromeの事です。Chrome OSは、このChromeというブラウザをインターフェース(窓口)として最大限活用し、本来パソコンに組み込まれていた様々な機能を実現していきます。

Chrome OSのメリットとデメリット

メリット

  • 起動が速い:Chromebookは7秒で起動が完了します。感動的な速さですね。
  • ウイルス対策が不要:システムがいつも最新に保たれていますので、Windowsのようなウイルス対策は不要になりました。
  • 価格が非常に安い:2−4万円で日本からも購入できます。

デメリット

  • 今まで使用していたようなアプリケーションが使えない:iTunesPhotoshopMicrosoft officeは使用できません(iTunesとofficeに関しては代替案がもちろんありますので、次項で解説します。)
  • ネット接続がないと機能が大幅に制限される:機能をクラウドに依存している以上、仕方のない所です。

Chromebookで大問題となるiTunesMicrosoft Office

 僕たち一般ユーザーにとって、iTunesMicrosoft Officeが使えないというのはとても看過できない問題です。iTunesは一般的に最も重要な音楽プレーヤーで音楽管理アプリケーションですし、Microsoft Officeは言わずもがな。僕は数年前からChromebookに注目してその動向を日々チェックして過ごしていましたが、やはりこの大問題が解決されない限り、Chromebookはガジェットマニアにとってのオモチャにすぎないと考えていました。しかし今年に入り、Microsoftクラウド上でのOffice機能を大幅に強化したことで、状況は一転しました。

iTunesの代替案

 まずはこいつについてですが、これはもう、Google Play MusicというGoogleクラウド機能を利用しましょう。このサービスは基本的に日本からは利用できないのですが、少し工夫すれば問題なく利用できるようになります。

Google Play Music(グーグルプレイミュージック)を日本から登録する方法と使い方-クラウドで音楽の管理やAndroid端末と同期【2014年最新版】- - Android(アンドロイド)おすすめアプリ・カスタムニュース|AndroidLover.Net

方法については、このサイトの中で非常に詳しく記述されていますので、こちらを参考にしてみてください。

Microsoft Officeの代替案

 Microsoftが提供するOffice Onlineを利用しましょう。

Microsoft Office

 今まで、無料のOfficeなら、Microsoftの関与していないOpen Officeなどがありましたが、これはOS間・バージョン間の互換性に問題がありました。 しかしこのOffice OnlineはMicrosoft謹製のクラウドサービスですので、互換性には全く問題がありません。使わなければ損、というレベルのサービスですので、積極的に利用されてはいかがでしょうか。

 

販売されているChromebookの比較

 Chromebookは複数のPCメーカーから販売されています。その中で、今はもう古くなってしまったモデルを除いた上で、現在購入する価値があるモデルをピックアップして比較してみたいと思います。

 今回比較するモデルは、以下の4モデルです。全て11インチの紹介となります。

  • ASUS Chromebook C200
  • Acer Chromebook C720
  • HP Chromebook 11
  • Samsung Chromebook 2

 この4つ以外にも、東芝DELLからも販売されているのですが、東芝版は13インチのみで11インチが悪く、携帯性が悪いこと。DELL版は価格帯が1万〜2万円高いことから、今回は残念ながら除外させていただきました。

 それでは次項からこの4モデルについて、最も定量的に比較評価が可能な、CPU・重量・バッテリーの3項目について、それぞれ順位付けしていきたいと思います。

1.CPUの比較

 CPUはいわゆる「ヌルヌルサクサク度」を示します。CPUが強ければ、多少PCに負荷をかけた動作をさせても、止まったりつまったりすることなく動いてくれます。

 1位 Acer C720:Celeron(Haswell)

 2位 ASUS C200:Celeron(Bay Trail)

 3位 HP Chromebook 11:Samsung Exynos

 3位 Samsung Chromebook 2:Samsung Exynos

 CPUの比較ではこの順位になります。SamsungとHPは、タブレット用のCPUを使用していますので、あまりこの分野で良い評価はできません。ベンチマークテストで最も低い順位となっています。

 反対に、Acer C720は最新のHaswellを採用していますので、最も優秀なCPU性能を持ちます。

 ASUS C200はこれらの中間、という感じですね。

 CPUの比較ではAcer C720が一歩リードです。

2.重量の比較

 携帯性を考えるとき、その重さは非常に重要です。今僕は1.6kgのMacbook Pro Retina displayを使用していますが、これを持ち歩くのは正直しんどいです。毎日持ち歩くにはかなり嫌になる重さですね。

 1位 HP Chromebook 11:1.04kg

 2位 Samsung Chromebook 2:1.1kg

 3位 ASUS C200:1.13kg

 4位 Acer C720:1.25kg

各モデルについて、それほどの違いはありません。1位のHPと4位のAcerで比較したら少し違いを感じる、という程度でしょうか。この項目ではHPがその優位性を見せ、Acerは逆に弱点を見せました。

3.バッテリーの比較

 持ち運ぶのなら、当然バッテリーは最重要です。スタバでPCカタカタやってたら凄まじい勢いで電池が消耗していく……、となっては現実的に利便性に欠けます。

 家のソファーでぐうたらしながらパソコンを使っている時も、あまりすぐにバッテリー切れを起こしてもらっては困りますね。地味ですがこの面も重要かと思いました。

 1位 ASUS C200:10〜11時間

 2位 Acer C720:8〜9時間

 3位 Samsung Chromebook 2:6〜7時間

 4位 HP Chromebook 11:5〜6時間

 この項目ではかなりの差がでました。1位のASUSと最下位のHPでは約2倍という激烈な差があります。この数字を見てしまっては、正直SamsungとHPはちょっと選びにくいですね。

4.まとめ

 以上 3項目について、それぞれの順位点をまとめ、総合順位を決めたいと思います。順位点の少ない物を「比較的優秀なモデル」とします。

 1位 ASUS:6点

 2位 Acer C720:7点

 3位 Samsung Chromebook 2:8点

 3位 HP Chromebook 11:8点

どうでしょうか、この順位点のあまり変わらない感じは……。ここまで読んでいただいた方や、Chromebookに詳しい方ならお分かりいただけると思うのですが、現在この業界、「あっちを立てればこっちが立たず」という状況なのです。

 重量とデザイン性の良いHP Chromebook 11は、そのバッテリー持ちに重大な欠陥がありますし、CPUの処理能力にも疑問点があります。

 その中で、今回1位とさせていただきましたASUS C200は大体なんでもバランス的な優等生タイプであり、かつ最も秀でて優秀なバッテリー機能をもちますし、そこも重視して評価してみました。しかもこのモデル、Macbookのパクリのようなデザインをしておりますので、現在Macbook proユーザーである僕はそこもヒイキしています。

 じゃあAcer C720はどうなのよ?多少重いかもしれないけどこの程度だろ?というご意見があるのは当然理解しております。この記事を書いている今、むしろAcer C720がやっぱり最強なのでは、という思いは確かに僕にもあります。

 しかし!僕は昨日既に買ってしまったのです。ASUS C200くんを。

 

ASUS Chromebook C200

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 ということで、先日(2014/8/24)、僕が購入したChromebookであるASUS C200くんです。

 最初はアメリカのAmazonから直接購入しようと思っていたのですが、どうやらこのモデル、現在はアメリカAmazonからの直接個人輸入はできない設定になっているようです。

 そこで、多少割高になったのですが、日本Amazon並行輸入業者からの購入としました。35000円程でした。

 2週間弱で届く予定となっていますので、届きましたら実際に使ってみた感想や新しい発見をレビューしたいと思います。

僕にとってドラクエのちょっとした設定が素敵に思える話。

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僕とドラクエとの出会い

 僕が初めてプレイしたドラクエSFC版(スーパーファミコン版)の5だった。昔、僕は小学生時代に初めてゲーム機を親に買い与えられたのだが、当初、僕はドンキーコングボンバーマンがんばれゴエモンなどのアクションゲームを好んでプレイしていた。当時好き嫌いのとても激しかった僕は、RPGのことをなぜか強く嫌っていた。多分本当にRPGが嫌いだったわけではなく、自分がやったことのある種類のゲームこそが至高で、その他の種類のゲームはダメだという、わけのわからない自尊心のような何かに取り憑かれた哀れな子供だったからだと思う。

 ドラクエ5は近所の友人に貸してもらった。「めっちゃ面白いから!」と言われて貸してもらったはずだ。確かそうだったと思う。家に帰ってその日のうちにドラクエ5をプレイしてみた。本当にめちゃくちゃ面白かった。その日以来、僕はRPGの魅力に取り憑かれてしまった。反対に、それまで大好きだったドンキーコングなどはもうほとんどやらなくなってしまった。北陸の田舎に住む僕にとって、RPGこそがつまらない10代の日々を少しだけ潤す物になってしまった。ドラクエ6が発売されるのをもう待ちきれないというほどに待ち焦がれ、親が見れば子供が狂ってしまったと思われるだろう程にFFシリーズをやり込みまくった。本当に狂ったと思われていたかもしれないが、今はまだ怖くてそのことを両親に聞くことができない。

大人にとってのゲーム

 年を取ればゲームはやらなくなるものだ。特にRPGなどといった時間をかけて世界を救う奴こそこの傾向は顕著だと思う。昔あれほどに僕をとりこにした彼らは、今はもう部屋の隅でホコリをかぶる思い出の品々になった。それは僕の成長だと思うし、この昔と今を持つ僕の存在こそが、彼らを開発したゲーム会社の社員さんたちの誇りなのだと強く思う。僕はたくさんの人々や思い出に囲まれて大人になった。

 多くの意味で現代は昔と違ってしまった。その中で最も説明可能な例をあげると、今はインターネットが普及し、ちょっとした検索によって、ゲームの「プレイ動画」が簡単に見つかるようになった事は最重要な事柄だろう。プレイ動画の中の勇者たちは凄い。当時小学生だった僕にはとても気づきようもなかった攻略法によって、これはいくらなんでも無茶だろうと思わせるほどの低レベルながらも、いともたやすくボスモンスター達を蹴散らしていく。凄い、と僕は純粋に思った。プレイ動画は、成長とともに枯れていった僕の心に水をやるのに十分なくらいの魅力を持っていた。ドラクエ3の「性格」は「タフガイ」とか「てつじん」が最も効率よく、しかも、「バラモス」は「マホトーン」と「ラリホー」によって容易に撃破できる、といった、僕にとってまったく新しい多くの事実達は、大人になった僕の中の少年をもう一度目覚めさせたと思う。

ネット上で今も消費されるドラクエ

 最近、久しぶりにSFC版のドラクエ3をプレイした。名作中の名作だ。「勇者」である主人公(僕たちが操作するプレイヤー)は、「戦士」「魔法使い」「僧侶」などを伴って、「魔王」を倒して世界を救う旅に出るのだ。僕たち勇者は先代の勇者の息子(または娘)であるので、その僕たちが世界を救うことが、どうやらドラクエ世界においては正統らしい。こういう血統主義的で荒唐無稽なお約束が、いかにも現実ではない、人の作ったゲームらしく、SFCの今となっては非常に子供だましなゲーム画面にとてもマッチして、没入できる世界観を生み出す要素のひとつになっていると思う。

 勇者はゲーム世界の隅っこにある、田舎の城を出発して世界を救う旅に出る。その時、国王からいくらかのアイテムとお金を貰うのだが、これが全く世界を救うべく自分を殺して旅に出る青年たちをねぎらうような価値もない物々なのだ。「こんぼう」と「ひのきのぼう」と「ぬののふく」で、一体どうやって魔王を倒せばよいのだろうか。城下街の武器防具屋には「どうのつるぎ」が売っているのだから、せめてその国一流の誠意を見せてもらいたいものだと思う。

 僕にとってドラクエのちょっとした設定が素敵に思える。上記したような、いわゆるお約束のつっこみ達は、既に一通り、インターネット社会で生産・消費を終えたアイディアだろう。もちろん僕はこれだけを書きたいがために長々とこの記事を書いているわけではなく、インターネットに散見されるアイディアに頼ったわけではない、他でもない僕自身が素敵だと思った設定は他にある。我ながらそれほど大したことではないと思うのだが、せっかく自分で思いついたことであるので、余暇のひとときにこの記事を書こうと思ったのだ。

消費されるドラクエ -遊び人と賢者-

 その前にもうひとつだけ、多くの生産消費を通過したお約束のアイディアを書いておきたい。

 ドラクエ3には、「職業」があり、そして「転職」ができる。レベル20を超えたキャラクターは、(主人公である勇者を除いて)違う職業に転職できる。このシステムがドラクエ3を不朽の名作にした。職業には先に挙げた、戦士、僧侶、魔法使いの他にも、「遊び人」と「賢者」などがある。この遊び人はとんでもないやつで、モンスターとの戦闘中に、勇者の指示を無視して勝手に遊びだすのだ。そういう特徴を持つ遊び人は、当然戦力としては全く期待できず、一見なんの役にも立たない、ただの穀潰しなのだが、しかし遊び人には唯一大きなメリットが付与されている。遊び人がレベル20に到達した時、彼は賢者に転職できるのだ。本来賢者は特殊アイテムがなければ転職できない。賢者への転職を可能にするのは「悟りの書」というアイテムで、これがあれば、超便利職である賢者への転職が可能になる。しかし唯一遊び人のみが、この悟りの書なしでの賢者への転職が可能だ。

 フラフラ都会で遊んでばかりだった末っ子が突然故郷に帰ってきて、「今まで心配かけてごめん。俺、やっと父さんの気持ちがわかったんだ」とか何とか言って、やたら良い奴になった結果、色々あって家業を継いだり、色々あって単独で遺産をもらったりする。大抵こういうストーリー仕立てのドラマや小説では、一見まじめでずっと家元にいた長男は、その実、家族に対しての感情に希薄で、もしかしたら遺産目当てだったりするものだ。なんとなく殺人事件とかが起こったりして、なんとなく凄い探偵がなぜかそこにいるような物語にありそうな設定だ。少し違うが、なんとなく犬神家の一族を思い出した。

現実に生きる遊び人たち

 とにかく、この、「昔は遊んでたけど今は誰よりも優しく賢い」という設定は、洋の東西を問わず、時代を問わず、数多くの物語に採用されてきたと思う。少なくとも僕はこの設定に死ぬほど見覚えがある。たぶんこれに似たようなことが、現実にも散見される事象だからなのだと思う。

 もちろん最初から優しくて賢い奴が一番偉いと思うが、それは誰の記憶にも残らず消え去っていくだろう。カタルシスがないからだ。近所の優秀で家族思いの兄ちゃんが、地域トップの大学に行って弁護士になっても、確かに無茶苦茶凄いが、記憶には残りにくいだろう。反対に、近所の反抗期が凄くてちょっと怖いけど実は仲間思い、そんな息子さんが都会の通称Fランク大学に行ったのに、更生して田舎に帰ってきて弁護士になったら、それはきっと美談として語られていくと思う。

 「今は誰よりも優しく賢く」なった彼らには、たぶん共通点がある。つまり、彼らが思春期に抱いていた悩みの種類が、彼らのパターンを統一するだろう。もしかしたら昔気質な頑固親父がその悩みの原因かもしれないし、はたまた教育熱心な母親への反発が彼らの苦悩の日々を生み出したかもしれない。この悩みというやつ、つまりストレスというやつは非常に厄介なくせものだ。人間の脳は、特に少年時代において、とてももろくできている。悩みが彼らの脳の一定以上の範囲を占めた時、彼らは容易に自分自身のコントロールを失ってしまうだろう。

そもそもなぜ彼らが遊び人になったのか

 例えば学校の成績が優秀であるためには、多くの人が考えているよりも、もっともっと多様な能力と環境を必要とする。しかし、一般的に知られていて、この時代になっても支配的な考え方となっているものがある。いわゆる生来的な地頭の良さというやつ、そして子どもたちの自発的なやる気、この2つが学校の成績を左右するとする、最も唾棄すべき考え方だ。この考え方は、2014年現在においても世界中の保護者たちを支配し続け、世界中の子供達を、「宿題しなさい」、「勉強しなさい」、これらの言葉によって保護者の圧政の中に押しとどめ続けている。

 話が逸れた。とにかくドラクエ3のように遊び人から賢者になった人々は、知的レベル自体は十分社会的に成功できる水準でありながら、しかし何か弱点をもつ性質を持って生まれてきたのだろうと思う。その弱点があったために、少年少女の時代に、外部環境によるストレスや葛藤に飲み込まれてしまった。経験という、ストレスと立ち向かうための最大の武器であり防具となる物を未だ持たなかったがためだ。

 そうやって10代を無為に過ごした彼らは家元を離れ、フラフラと街に出て行くことになる。そこで多くの経験をした彼らは、今まで翻弄され続けてきた自分自身と立ち向かうための力を手に入れるのだ。

僕にとってドラクエのちょっとした設定が素敵に思える話。

 最後になるが、ようやく表題の設定について書こうと思う。僕が素敵だと思ったドラクエの設定だ。

 ドラクエ3には「おぼえる」と「おもいだす」というシステムがある。ドラクエ世界において、街の住人たちがパラパラと教えてくれるヒントが世界を救う道順となる。「そういえば、東の村で事件が起きたらしい」と村人が言えば、僕たちは東の村に走りださなければならない。「おぼえる」システムは、そういうヒントのいわばメモ帳だ。村人の言ったことを「おぼえ」、必要なときに「おもいだす」ことによって、次に僕たちがどこへ行けばいいかいつでもわかるためのシステムだ。

 勇者のレベルが上がってくると、「おもいだす」だけでなく、「もっとおもいだす」「ふかくおもいだす」など、覚えたことをたくさん思い出せるようになるのだが、レベルが上がってたくさんの経験を積んだ勇者は、「わすれる」ことができるようになる。

 この、「わすれる」ことが素敵だと思った。何だそんなことかよと言われるだろうが、それでも今大人になった僕には素敵なことだったのだ。少年時代ドラクエが大好きだった僕に何の示唆も与えなかった、この「わすれる」ことが、今の僕にはとても魅力的にうつった。これはゲーム自体の素敵な一面でもあると思う。ひとつのゲームを、昔の僕と今の僕、二人の僕がプレイし、昔どうしてもできなかったひとつひとつを、今の僕が攻略していき、昔の僕が路傍の石だとしか思えなかったひとつひとつを、今の僕がつぶさに拾い上げていく。この相対性を、大人としての生活に疲れる今の僕が、日々の潤いに変えていく。

「わすれる」ことの重大な価値

 今の僕を賢者だとは思わない。いくら適当な事を書き連ねるインターネット上のブログであろうと、自分の事をいきなり賢者とか言い出すのは、いい大人としてとても恥ずかしいことだと思う。しかし、昔の僕が遊び人であったのは間違いない。だから今の僕は大体普通の人になったと思う。面倒だからこの点においては概ねそういうことにしておきたい。

 話を続けよう。古今東西、生まれつきに何らかの弱点を抱えたために、自身のコントロールを失い、遊び人にならざるを得なかった何人もの先人たちが、「昔の事はもういいよ。もうそんな事は忘れた」と、きっと彼ららしく誰もその言葉を口には出さず、ただ胸に押しとどめ、街で成長して家に帰っていったのだと思う。みんな遊び人から普通の人になり、そのカタルシスゆえに周囲の人々の記憶に留まり、誰かが物語にして流布したことで、上記したような定型ストーリーが出来上がったのだと思う。

 昔の嫌な思い出、昔好きだった人のこと、昔世話になったけれどもう墓でしか会えなくなってしまった人たちのこと、全部事実としては今も覚えていて、それらはみんな当時の僕たちを地獄に落とすような物だったかもしれないけれど、その時僕たちが抱いていた感情を、今の僕たちは大体忘れてしまった。当時僕たちが悩み苦しんでいた事実とその内容を確かに覚えているが、その瞬間に僕たちが抱いていたリアルな苦しみの手触りや息遣いを、大人になるにつれて僕たちは段々と忘れていったのだ。

 もし、今も僕たちがその感情までも明快に覚えているとしたら、その悩みはきっと、今この瞬間も僕たちを苦しませ続けている何かのはずだ。その大きな障害を、その感情を、忘れることで克服するまで、もしくは克服することで忘れるまで、きっと僕たちは、大人になった今も、真の意味で救われてはいないのだと思う。

 人間は、最初から忘れることはできない。人間はそういうふうには作られていない。しかし、日々の繰り返しを生きることで、新しい経験をして、さらにそれも忘れていく。その中で、忘れることと忘れないことの釣り合いがきっとちょうどとれた時、今度僕たちは普通の人からもしかしたら賢者あたりに転職できるのやもしれないと思う。

 市立図書館にも国会図書館にだって、悟りの書が置いていないのが現実の辛いところだ。

僕が「ふるさと」と人体解剖について思い出す話。

今週のお題「ふるさと・夏」

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 「ふるさと」という歌がある。山でうさぎを追ったり川でフナを釣ったりするアレだ。僕はこの歌に人より思い入れがある。

 僕は数年前に人体解剖実習をさせて頂いた。解剖は僕や同級生達にとって重大なイベントだった。多分医学部6年間で最も重要な事柄だ。2年生の4月、あと半年後に解剖実習が始まるのか、と心が重くなった。9月、あと1週間後に解剖室に入ってご遺体にメスを入れることが信じられなかった。解剖実習当日、実習着に着替えて解剖棟に向かうとき、これが現実の事だとはとても思えなかった。

 解剖はいつも黙祷から始まり黙祷で終わる。その日、指導教官の合図で僕たちは初めての黙祷をした。そして、ご遺体が入っている袋のファスナーを開き、仰向けにされていたご遺体をうつ伏せに直し、メスを入れた。誰かが最初にご遺体にメスをいれなければならない。誰もが躊躇するその儀式を、自分が最初にしようと思った事を覚えている。

 解剖実習は9月から始まり、翌年の1月まで続く。週に4回、1時から5時までを目処に休憩なく行われた。当時の僕達の生活は全て解剖が中心となった。最初はあれだけ緊張し、現実感を失った僕たちは、しかし1週間程度経つだけで解剖に順応していった。人間はなんて変で、そして便利な生き物なんだと思った。人間は不思議だ。

 その時点では、僕達にとってご遺体はご遺体だった。多分僕達に、ご献体くださった方々の生前の事を考える余裕はなかったし、ホルマリンに処理されたご遺体は、生前の様を僕達に思わせる姿ではなく、僕達にとって、もっと「人間とは違う何か」であったように思う。いや、もっと正確に言えば、そう思わなければ僕達自身が解剖を続けられなかったのかもしれない。それが事実かもしれない。

 しかし、その認識は数カ月後に変わることになった。慰霊祭という催しが執り行われたからだ。ご献体くださった方のご遺族と、これから死後、献体する意志をもつ方々を招いて慰霊祭は行われる。僕はその方々一人一人について多くを覚えていない。努めて勤勉で実直な様を、ご出席くださった皆様に見せようとしていたので、僕には珍しく、周りを観察する意思がなかったのかもしれない。

 それでも何人かの人を覚えている。車椅子に乗った人が多かったように記憶している。他には、解剖学教授への質疑応答の際、マイクを持って手際よくいくつかの質問をした方がいた。おそらくどこかの企業の役員をやっていたのであろう、すらすらと質問を連ねるその姿は、僕達にその人生の重みを感じさせた。確かあの方は献体希望の方だったはずだ。

 慰霊祭では、全員で表題の歌を合唱した。つまり「ふるさと」だ。兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今も巡りて 忘れがたき故郷。あの時、あの場所にいた方々。あれからもう3年近くが経った。何人かは既にご献体されたのだろうか、と今考えた。僕の胸を何かが打った。

 僕は今でも解剖の夢を見る。自分が解剖される夢を見ることもある。なぜか解剖されている時も自分の意識があり、まるでゾンビだ、と起きた時に苦笑する。解剖の対象が死んだ祖父だったこともあった。人間は不思議だ。もう日頃特別解剖を思い出すことはないのに、それでも今も、夢が僕にあの頃を繰り返し伝えてくれている。

僕がアスペルガー症候群について考えた話。

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アスペルガー症候群の現在 -新しい診断基準-

 アスペルガー症候群という障害がある。いや厳密に言えば現在アスペルガー症候群という障害は存在しないのだが、とにかくこいつに苦しむ人々がたくさんいる。本人が悩み苦しむ場合もあれば、このいわゆるアスペちゃんが職場なり学校なりの雰囲気を乱すことに苦しめられる人々も多い。

 このアスペルガー症候群だが、今この障害は存在しないと上記した。何故かを書こう。各種の疾患を診断し治療するためには、ベースとなるロジックが必要なのだ。それが世に言う診断・治療ガイドラインというやつで、特に診断の場面においては診断基準というやつだ。現在の医学は、できるだけ経験論ではなくエビデンス(科学的な証拠)に基いて行われている。世界中の医師たちが、新しいエビデンスを鉱脈から発掘するために臨床実験を繰り返し、それを論文にまとめて世界中に発信するのだ。その論文がどの雑誌に採用されたかというのが非常に重要で、有名な雑誌に掲載されるほどその論文の著者は高いポイントを手に入れる。この所持ポイントが多い人ほど教授の座に近づくようだ。

 話が逸れた。アスペルガー症候群はもちろん精神医学領域の疾患(障害)である。この障害を持つ人と対峙するのは世界中の精神科医だ。彼らが属する精神医学界には、アメリカ精神医学会(APA)というボス的な存在がある。APAはDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)という本を刊行している。このDSMが精神医学界の聖書で、世界中の精神科医の診断基準を規定しているらしい。昨年以前はDSM-IV-TRというバージョンだったが、昨年、DSM-5が公開された。このDSM-5の中で、アスペルガー症候群という名前は消滅したのだ。正確に言えば、アスペルガー症候群自閉症スペクトラムという大きな枠組の中に吸収合併された。

自閉症スペクトラム -その定義-

 自閉症スペクトラムとは、広義の発達障害のことだ。発達障害の定義は、大体だが以下の3つと思ってもらいたい。

 ・常同性がある(行動がパターン化されている)

 ・社会性に困難がある(コミュニケーションが困難である)

 ・ある物事に対して興味のあるなしが異常にはっきりしている

これらがある場合、広汎性発達障害、つまり自閉症スペクトラムと診断される可能性があるらしい。これに言語能力や知的能力の障害を伴えば、それが自閉症患者となる。

 現在のアスペルガー症候群は、定義上はこの自閉症スペクトラムの一員となっている。

社会の中のアスペルガー症候群 -現実-

 しかしそれでもアスペルガー症候群という名前はもはや圧倒的に世間に認知された。ADHDを知らなくてもアスペルガー症候群は誰もが知っている。アスペルガー症候群は今でも存在するのだ。ちょっと空気が読めない奴をアスペと罵倒する事は、口の悪いネットの住人にとっては慣例となった。

 医学の流れに世間が追いつくのには大変な時間が必要だろう。そもそもアスペルガー症候群自閉症スペクトラムの本質を知っている人は世界中にだれもいないのであるし、最先端の医師がもっともらしいことを言って、それ以外の医師たちが半信半疑で追従したり、もしくは反発したりしているのが現状だ。それだけ人間の脳は未だ解明されずに残った領域だ。

 だから僕が適当なことをネットに垂れ流していても文句は言われないだろう。明日の天気は世界的に晴れかもしれない、と予言めいた何かを口走るのと似たようなものだ。

人間の本質 -普通と異常-

 アスペルガー症候群を端的に表現すると、「会話の文脈を理解できない」「表情や仕草など言葉にしていない部分を理解できない」要するに、「空気が読めない」と、こんなところだと思う。

 もっと一般化して喋ろう。アスペルガー症候群の人は、「普通の人と違う」のだ。この一言は間違いなく正しい。普通と違うから普通の人との交流に困難が生まれるのだ。

 この、普通の人と違う、という言葉は、世に存在する全ての疾患に対して当てはまる。糖尿病だって脳梗塞だって心筋梗塞だって癌だって、つまり普通の人とは違うのだ。何が違うのか、それは人体を構成する成分、DNAや酵素やタンパク質やもっと専門的に言うと何らかの分子の受容体が普通の人と違うから何らかの病態が生まれる。その病態に名札をつけるのが医師の最初の仕事で、患者の体内の環境を「普通」に近づけるために何らかの化学物質を体内に投与する。これが薬だ。化学物質によって体内に新しい化学反応が生じることで、均衡の取れなくなった天秤を元に戻そうとするのが治療だ。もう完全に駄目になった部位を切り取ることを手術という。

 アスペルガー症候群もおそらく何かが物質的におかしくなっていると考えられる。おかしくなっている部位は脳のどこかで間違いないが、それが具体的にどこかはわかっていない。前述したADHD(注意欠陥多動性障害)の病態の原因は、ドパミン不足と言われている。ドパミンとは快楽を司る脳内物質のことで、例えば向精神薬(麻薬)は大量のドパミンを生み出すことで気分の良さを人間に与えてくれるし、パーキンソン病ドパミン神経系の活動が正常より低下することで発症する病気だ。このドパミンADHDの関係は非常に興味深いのだが、今回は言及は避けようと思う。

コミュニケーションの本質 -パターン認識-

 コミュニケーションは一種のパターン認識だ。相手がこう言っているから自分はこう反応した方がいい。相手がつまらなそうにしているからさっさとこの会話を切り上げるか何か刺激的な話題を提供する。これらの繰り返しによってコミュニケーションは形作られる。

 このパターン認識であるという点でコミュニケーションはゲームに似ている。学校のペーパーテストにも似ている。ストリートファイターなどの格闘ゲームで、相手がジャンプしたら自分は対空技を出す。数学のテストで事前に先生が似たような問題を授業で解いていたから、その解法をはっと思いついて流用して解答する。これらは全く同じもののように思われる。相手が苦笑いしながら「あー、俺この仕事楽しくて仕方ねーわー」と言っていたら、彼はもちろんその仕事がつまらないと感じている。これは日々友人や家族、上司や取引先の方との会話を繰り返すことで磨かれていくパターン認識のスキルだ。

 アスペルガー症候群の人々は、知能(特に学歴)や各種スキルには全く異常を示さないと言われている。東大生のアスペルガー症候群所持率は一般の群より高いそうだ。ゲームが異常に得意な人がアスペルガー症候群でも全く違和感がない。むしろ実際にそうだったとしたら、どこか納得する部分さえある。彼らに与えられた能力の中で、低いのはコミュニケーション能力だけだ。

アスペルガー症候群の本質 -主題-

 何故なのか?パターン認識能力に問題を持たない彼らが、コミュニケーション能力に問題を抱える原因は?

 僕はこの問いに対してエビデンスと自信を持って明確な解答をすることはできない。もしできるなら僕は迷わず精神科医になろうと思うが、人間の秘密はそんな簡単に解き明かされるものではない。

 ただやはり適当なことを垂れ流す自由は僕にあると思うので、僕の考えを書こうと思う。「僕がアスペルガー症候群について考えた話」と題した以上、考えたことを書かなければならないと感じている。

 アスペルガー症候群は物質的(分子的)に何らかが普通とは変化した状態だと思う。そこはとりあえず間違いないと思うが、万に一つも誤解してほしくないのだが、僕は彼らを差別する意思は一切ないということを今更ながら書いておきたい。彼ら自身や彼らを取り巻く環境である僕達が、現状認識を考察を理解を深めておくべきだと思うから書くのだ。

 彼らは幼少期から、その普通とは違ってしまった分子的なあれやこれやを原因として、興味とこだわりがある事象に集中する性質を持って生まれ育ってきたと思う。これがおそらく全ての始まりで、全てはここに集約するのだ。

 「普通」、僕達はそれほどには強いこだわりを持たないし、僕達の興味が、ある1つの事柄に極端に集中することはない。元来僕たちは、小学生になる頃には、折り紙やその辺に転がっている石に対しての考察を四六時中することはない。休み時間や放課後になったら友達とその辺を走り回るものだ。中学生になるともっと顕著だ。誰それと仲良くなった、あいつと喧嘩した、あの子が好きになった。僕達の会話や葛藤はそればかりだ。表面上ゲームに夢中になったりもするが、思春期の僕達の脳裏を占めるのは、本質的には友人と異性の存在だけだ。

 多分きっとここが彼らと違うのだ。むしろ彼らが僕らと違うのだ。僕らが人間関係に思い悩む時間を、彼らは石や数式や何かの暗記に費やす傾向にある。

 10000時間の法則という言葉をご存知だろうか。ある分野の天才になるためには、10000時間をそれに費やしなさいという意味だ。僕らはきっと10000時間などではないもっと膨大な時間を思春期の葛藤に費やすのではないだろうか。その莫大に費やした葛藤の時間だけが、僕らをコミュニケーション能力者に変貌させるのだ。

 逆に彼らはその時間を別の領域に費やして、各種の専門家となる。東大に進学したりする人もいれば、著明なプログラマーになる人もいるし、超越的な芸術家になる人もいるだろう。そしてもちろん、何者にもなれない人々がいる。

 僕の友人に、おそらく診断はされていないが、しかしアスペルガー症候群と断定していいのではないかと思わせるレベルの友人がいる。彼は圧倒的なイケメンでありながら、今まで他に見たことがない程の変人だった。その2つが彼を彼たらしめる彼の輝く個性だった。彼の友人である僕たちは、彼がまともに就職できるかさえ怪しいと思っていたが、彼は一部上場企業に就職し、今立派な社会人として社会と協調しようとしている。大学時代、SNSで彼の交流を見たことがあった。彼はどうもとても悩んでいたようだった。今思えば、その悩みの時間が彼を成長させたのだと思う。

アスペルガー症候群のこれから -僕の提案-

 つまり彼らに足りなかったのは時間なのだ。思い悩み失敗と工夫と挫折と成長を繰り返す時間が足りないのだ。そうしなければスキルの成長は得られないのだから、彼らは長いスパンでコミュニケーションのパターン認識力を磨く時間を取り返す事で社会と馴染んでいけるのだ。だからきっと、本当に悩んでいるアスペルガー症候群の患者は、いつか報われる日が必ず来るのだと思う。

 では逆に、彼らにとっての外部環境である、普通な僕らに求められることとはなんだろうか。多分それは、指摘して、待つことだと思う。「そういうところはちょっと良くないんじゃないか、もっとこうしてみたらどうかな?」彼らに具体的な提案をしてみようと僕は考えている。コミュニケーションに関して、空気が読めない彼らは何がなにやらわかっていない、座標もないような状態かもしれないのだから、僕達が座標になり得るような知識を提供するのだ。こう来たらこう返す、パターン認識だ。その知識を彼らに吟味してもらい、時に僕達が彼らの進路を修正してあげることで、彼らは長い長い時間をかけてそれを反芻し、いつかその知識を自分のものとできるだろう。その時彼らのアスペルガー症候群はコントロールされ、コミュニケーションのパターン認識能力を獲得するのではないだろうか。

終わりに

 アスペルガー症候群に限らず、精神医学領域の疾患は、周囲の協力なしに自力で回復することは殆ど無いと思う。精神科医に怒られてしまうかもしれないが、とりあえず僕はそう思っている。処方された薬を行儀よく服用することで収まる事ももちろんあるだろうが、本質的に改善には外部環境の変化が必要な場合が多いと思う。思春期のうつ病や登校拒否は、イジメが原因ならそれをなくさない限り何もならないだろう。夫が家庭内暴力をやめずに妻のうつ病が治ることはないと思う。極端な例を出したが、周囲の協力が重要、という大原則は共通している。

 僕は、余裕のある人が、ない人に余裕を与える社会がいいと思っている。僕自身そうありたいと思っている。今のこの気持ちがずっと変わらず、そういう僕でいられますように。

僕が昔コミケで警備のバイトをした時の話。

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 何年か前にコミケで警備のバイトをした。7年位前だったろうか、確か20歳か21歳くらいだったような気がする。もしかしたらまだ10代だったかもしれない。僕は北陸の地方都市で生まれ育ち、18歳の時に東京の大学に進学した。別にどこにでもある普通の人生だったと思う。少し普通ではないことといえば、それまでバイトをした経験がなかった事だ。正確に言えば、某チェーンの飲食店バイトを2日で辞めたことがある程度にはバイトをした事があった。

 コミケのバイトは、友人に誘われたからやった。特段その手の趣味に入れ込んでいたからそうしたわけではない。確か当時は、オタクとかアキバとか萌えとかメイドとかいった話がテレビに出てきはじめた最初の頃だったと思う。僕は多少その辺りの知識があったが、友人の方はほぼ完全に興味も無かった。高身長、イケメン、リーダーシップ、ついでに学歴、男を評価する各項目で、彼が女性票を落とすような物はほとんどない。唯一あるとすれば、ギャンブルを人より好むくらいだと思う。

 そんな友人に誘われたわけだから、僕としては二つ返事でOKした。彼に誘われたことが嬉しかったし、そもそも僕は彼になりたいと思っていた。凡庸だった僕は、当時、何者かに変わるために必死だった。右も左も知らず見えず、ただ何かをどうにかしたいとだけ思っていた。

 コミケは年に2回開かれるが、僕が警備のバイトをしたのは冬の方だった。コミケが開催される前夜、確か代々木にあるマンションの一室に居を構える警備会社に友人と二人で行った。そこで大体の話を聞き、警備会社の車で東京ビックサイトに向かった。途中、やたらでかい橋を見た記憶がある。これが有名な観光名所かと感動した。厳密に言えば、そういう記憶がある気がする、という程度のもので、実際にこの時の記憶かは定かではないが、それでも僕はこういう風に記憶しているのだ。

 東京ビックサイトに着くと、学校の教室くらいの大きさの、ガランとした部屋に通された。そこが待機場所で、朝まで適当に雑魚寝しろということらしかった。布団も毛布もなかった。横になると、体は痛いし寒くてよく眠れない。あまりの待遇の悪さに驚いた。

 朝、といっても確か3時くらいに起床し、僕の人生でおそらく最初で最後の警備バイトが始まった。無茶苦茶に寒かった。寒すぎて死ぬと思った。制服の上に着る外套の数が人数分に足りず、社員の人に譲ってもらったが、それでも寒かった。むしろ譲ってくれたあの人は大丈夫だったのかと今でも心配するくらいに寒かった。

 最初は寒さに耐えて外に立っているだけだった。この待っている時間、BUMP OF CHICKENの曲が頭でずっと鳴っていたはずだ。それが何故かは全く覚えていないが。当時僕はBUMPがとても好きで、気が狂ったように聞いていた。当時の僕は、藤原基央の歌を聞くことで、勇気も自信もなく、くだらない自尊心しかない自分の心と日々折り合いをつけようと腐心していた。だから多分、バイトをするために事前に山ほどBUMPを聞いていたんだと思う。

 いくらか経つと始発の時間が来た。コミケ始発組が大挙してやってきた。ぞっとするくらいの人間の群れだった。風の谷のナウシカに出てくるオウムの大群を思い出したことを覚えている。僕が警備っぽい仕事をしたのは多分この時だけだ。あとの時間は、寒い寒いと言いながら外に突っ立っていただけだった。あの寒さは一生忘れないと思う。今では輝くような思い出の東京での日々を象徴するような寒さだった。

 初日が終わった。近くにある飲食店で、憧れの友人と飲んだ。ビール1杯で完全に酔いが回ったのは、後にも先にもこの時だけだ。心身ともに疲れ果てていた。

 2日目、この日もオウムの大群を迎えることから一日が始まった。その中で今でも忘れらないことがある。トランシーバーだ。我々警備員は、一人ずつトランシーバーを貰うのだ。そのトランシーバーが鳴ってしまった。確か社員に名指しで呼ばれてしまった。その時の哀れな僕は、なぜかそれに応答できなかった。本当に情けないと思う。夜、48時間の拘束が解け、また車で代々木に戻った。トランシーバーには応答できなかったが、給料袋を受け取ることはできた。それが当時の子鹿のような僕の限界だった。もらった金で、彼とご飯を食べて帰った。

 

 あれから何年も経った。色んな事があった。就活をした。幸運にも2社目で内定をもらった。大学4年生の2月、その内定を辞退した。北陸に帰って医者になろうと考えた。その旨を内定先の会社に行って直接伝えた。体も声も震えて子鹿のようだった僕に、先方の人事さんは、頑張れ、お前ならやれる、と励ましてくれた。翌年、医学部に合格した。

 昔より失敗することが少なくなった。大体の事は程々になんとなくできるようになった。もちろんバイトも一人でできるようになった。今でも彼とは仲良くしているが、もうあの頃のような憧れはなくなった。多分何者かになれたからだと思う。それなりに哀れではなくなった僕をここまで育ててくれたのは東京の街で、一緒にいてくれた友人たちだ。両親が僕の東京での4年間に支払ってくれた1000万円は無駄ではなかったと確信している。

 このお盆を、彼を含めた当時の友人達と、麻雀とスロットに費やした。それはまるで昔に戻ったような、輝く数日だった。あの寒かったコミケの思い出が今の僕を支えてくれている。