でたらめだったら面白い

日々思いつく僕の話について適当に垂れ流しています。

僕が昔コミケで警備のバイトをした時の話。

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 何年か前にコミケで警備のバイトをした。7年位前だったろうか、確か20歳か21歳くらいだったような気がする。もしかしたらまだ10代だったかもしれない。僕は北陸の地方都市で生まれ育ち、18歳の時に東京の大学に進学した。別にどこにでもある普通の人生だったと思う。少し普通ではないことといえば、それまでバイトをした経験がなかった事だ。正確に言えば、某チェーンの飲食店バイトを2日で辞めたことがある程度にはバイトをした事があった。

 コミケのバイトは、友人に誘われたからやった。特段その手の趣味に入れ込んでいたからそうしたわけではない。確か当時は、オタクとかアキバとか萌えとかメイドとかいった話がテレビに出てきはじめた最初の頃だったと思う。僕は多少その辺りの知識があったが、友人の方はほぼ完全に興味も無かった。高身長、イケメン、リーダーシップ、ついでに学歴、男を評価する各項目で、彼が女性票を落とすような物はほとんどない。唯一あるとすれば、ギャンブルを人より好むくらいだと思う。

 そんな友人に誘われたわけだから、僕としては二つ返事でOKした。彼に誘われたことが嬉しかったし、そもそも僕は彼になりたいと思っていた。凡庸だった僕は、当時、何者かに変わるために必死だった。右も左も知らず見えず、ただ何かをどうにかしたいとだけ思っていた。

 コミケは年に2回開かれるが、僕が警備のバイトをしたのは冬の方だった。コミケが開催される前夜、確か代々木にあるマンションの一室に居を構える警備会社に友人と二人で行った。そこで大体の話を聞き、警備会社の車で東京ビックサイトに向かった。途中、やたらでかい橋を見た記憶がある。これが有名な観光名所かと感動した。厳密に言えば、そういう記憶がある気がする、という程度のもので、実際にこの時の記憶かは定かではないが、それでも僕はこういう風に記憶しているのだ。

 東京ビックサイトに着くと、学校の教室くらいの大きさの、ガランとした部屋に通された。そこが待機場所で、朝まで適当に雑魚寝しろということらしかった。布団も毛布もなかった。横になると、体は痛いし寒くてよく眠れない。あまりの待遇の悪さに驚いた。

 朝、といっても確か3時くらいに起床し、僕の人生でおそらく最初で最後の警備バイトが始まった。無茶苦茶に寒かった。寒すぎて死ぬと思った。制服の上に着る外套の数が人数分に足りず、社員の人に譲ってもらったが、それでも寒かった。むしろ譲ってくれたあの人は大丈夫だったのかと今でも心配するくらいに寒かった。

 最初は寒さに耐えて外に立っているだけだった。この待っている時間、BUMP OF CHICKENの曲が頭でずっと鳴っていたはずだ。それが何故かは全く覚えていないが。当時僕はBUMPがとても好きで、気が狂ったように聞いていた。当時の僕は、藤原基央の歌を聞くことで、勇気も自信もなく、くだらない自尊心しかない自分の心と日々折り合いをつけようと腐心していた。だから多分、バイトをするために事前に山ほどBUMPを聞いていたんだと思う。

 いくらか経つと始発の時間が来た。コミケ始発組が大挙してやってきた。ぞっとするくらいの人間の群れだった。風の谷のナウシカに出てくるオウムの大群を思い出したことを覚えている。僕が警備っぽい仕事をしたのは多分この時だけだ。あとの時間は、寒い寒いと言いながら外に突っ立っていただけだった。あの寒さは一生忘れないと思う。今では輝くような思い出の東京での日々を象徴するような寒さだった。

 初日が終わった。近くにある飲食店で、憧れの友人と飲んだ。ビール1杯で完全に酔いが回ったのは、後にも先にもこの時だけだ。心身ともに疲れ果てていた。

 2日目、この日もオウムの大群を迎えることから一日が始まった。その中で今でも忘れらないことがある。トランシーバーだ。我々警備員は、一人ずつトランシーバーを貰うのだ。そのトランシーバーが鳴ってしまった。確か社員に名指しで呼ばれてしまった。その時の哀れな僕は、なぜかそれに応答できなかった。本当に情けないと思う。夜、48時間の拘束が解け、また車で代々木に戻った。トランシーバーには応答できなかったが、給料袋を受け取ることはできた。それが当時の子鹿のような僕の限界だった。もらった金で、彼とご飯を食べて帰った。

 

 あれから何年も経った。色んな事があった。就活をした。幸運にも2社目で内定をもらった。大学4年生の2月、その内定を辞退した。北陸に帰って医者になろうと考えた。その旨を内定先の会社に行って直接伝えた。体も声も震えて子鹿のようだった僕に、先方の人事さんは、頑張れ、お前ならやれる、と励ましてくれた。翌年、医学部に合格した。

 昔より失敗することが少なくなった。大体の事は程々になんとなくできるようになった。もちろんバイトも一人でできるようになった。今でも彼とは仲良くしているが、もうあの頃のような憧れはなくなった。多分何者かになれたからだと思う。それなりに哀れではなくなった僕をここまで育ててくれたのは東京の街で、一緒にいてくれた友人たちだ。両親が僕の東京での4年間に支払ってくれた1000万円は無駄ではなかったと確信している。

 このお盆を、彼を含めた当時の友人達と、麻雀とスロットに費やした。それはまるで昔に戻ったような、輝く数日だった。あの寒かったコミケの思い出が今の僕を支えてくれている。