でたらめだったら面白い

日々思いつく僕の話について適当に垂れ流しています。

僕がアスペルガー症候群について考えた話。

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アスペルガー症候群の現在 -新しい診断基準-

 アスペルガー症候群という障害がある。いや厳密に言えば現在アスペルガー症候群という障害は存在しないのだが、とにかくこいつに苦しむ人々がたくさんいる。本人が悩み苦しむ場合もあれば、このいわゆるアスペちゃんが職場なり学校なりの雰囲気を乱すことに苦しめられる人々も多い。

 このアスペルガー症候群だが、今この障害は存在しないと上記した。何故かを書こう。各種の疾患を診断し治療するためには、ベースとなるロジックが必要なのだ。それが世に言う診断・治療ガイドラインというやつで、特に診断の場面においては診断基準というやつだ。現在の医学は、できるだけ経験論ではなくエビデンス(科学的な証拠)に基いて行われている。世界中の医師たちが、新しいエビデンスを鉱脈から発掘するために臨床実験を繰り返し、それを論文にまとめて世界中に発信するのだ。その論文がどの雑誌に採用されたかというのが非常に重要で、有名な雑誌に掲載されるほどその論文の著者は高いポイントを手に入れる。この所持ポイントが多い人ほど教授の座に近づくようだ。

 話が逸れた。アスペルガー症候群はもちろん精神医学領域の疾患(障害)である。この障害を持つ人と対峙するのは世界中の精神科医だ。彼らが属する精神医学界には、アメリカ精神医学会(APA)というボス的な存在がある。APAはDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)という本を刊行している。このDSMが精神医学界の聖書で、世界中の精神科医の診断基準を規定しているらしい。昨年以前はDSM-IV-TRというバージョンだったが、昨年、DSM-5が公開された。このDSM-5の中で、アスペルガー症候群という名前は消滅したのだ。正確に言えば、アスペルガー症候群自閉症スペクトラムという大きな枠組の中に吸収合併された。

自閉症スペクトラム -その定義-

 自閉症スペクトラムとは、広義の発達障害のことだ。発達障害の定義は、大体だが以下の3つと思ってもらいたい。

 ・常同性がある(行動がパターン化されている)

 ・社会性に困難がある(コミュニケーションが困難である)

 ・ある物事に対して興味のあるなしが異常にはっきりしている

これらがある場合、広汎性発達障害、つまり自閉症スペクトラムと診断される可能性があるらしい。これに言語能力や知的能力の障害を伴えば、それが自閉症患者となる。

 現在のアスペルガー症候群は、定義上はこの自閉症スペクトラムの一員となっている。

社会の中のアスペルガー症候群 -現実-

 しかしそれでもアスペルガー症候群という名前はもはや圧倒的に世間に認知された。ADHDを知らなくてもアスペルガー症候群は誰もが知っている。アスペルガー症候群は今でも存在するのだ。ちょっと空気が読めない奴をアスペと罵倒する事は、口の悪いネットの住人にとっては慣例となった。

 医学の流れに世間が追いつくのには大変な時間が必要だろう。そもそもアスペルガー症候群自閉症スペクトラムの本質を知っている人は世界中にだれもいないのであるし、最先端の医師がもっともらしいことを言って、それ以外の医師たちが半信半疑で追従したり、もしくは反発したりしているのが現状だ。それだけ人間の脳は未だ解明されずに残った領域だ。

 だから僕が適当なことをネットに垂れ流していても文句は言われないだろう。明日の天気は世界的に晴れかもしれない、と予言めいた何かを口走るのと似たようなものだ。

人間の本質 -普通と異常-

 アスペルガー症候群を端的に表現すると、「会話の文脈を理解できない」「表情や仕草など言葉にしていない部分を理解できない」要するに、「空気が読めない」と、こんなところだと思う。

 もっと一般化して喋ろう。アスペルガー症候群の人は、「普通の人と違う」のだ。この一言は間違いなく正しい。普通と違うから普通の人との交流に困難が生まれるのだ。

 この、普通の人と違う、という言葉は、世に存在する全ての疾患に対して当てはまる。糖尿病だって脳梗塞だって心筋梗塞だって癌だって、つまり普通の人とは違うのだ。何が違うのか、それは人体を構成する成分、DNAや酵素やタンパク質やもっと専門的に言うと何らかの分子の受容体が普通の人と違うから何らかの病態が生まれる。その病態に名札をつけるのが医師の最初の仕事で、患者の体内の環境を「普通」に近づけるために何らかの化学物質を体内に投与する。これが薬だ。化学物質によって体内に新しい化学反応が生じることで、均衡の取れなくなった天秤を元に戻そうとするのが治療だ。もう完全に駄目になった部位を切り取ることを手術という。

 アスペルガー症候群もおそらく何かが物質的におかしくなっていると考えられる。おかしくなっている部位は脳のどこかで間違いないが、それが具体的にどこかはわかっていない。前述したADHD(注意欠陥多動性障害)の病態の原因は、ドパミン不足と言われている。ドパミンとは快楽を司る脳内物質のことで、例えば向精神薬(麻薬)は大量のドパミンを生み出すことで気分の良さを人間に与えてくれるし、パーキンソン病ドパミン神経系の活動が正常より低下することで発症する病気だ。このドパミンADHDの関係は非常に興味深いのだが、今回は言及は避けようと思う。

コミュニケーションの本質 -パターン認識-

 コミュニケーションは一種のパターン認識だ。相手がこう言っているから自分はこう反応した方がいい。相手がつまらなそうにしているからさっさとこの会話を切り上げるか何か刺激的な話題を提供する。これらの繰り返しによってコミュニケーションは形作られる。

 このパターン認識であるという点でコミュニケーションはゲームに似ている。学校のペーパーテストにも似ている。ストリートファイターなどの格闘ゲームで、相手がジャンプしたら自分は対空技を出す。数学のテストで事前に先生が似たような問題を授業で解いていたから、その解法をはっと思いついて流用して解答する。これらは全く同じもののように思われる。相手が苦笑いしながら「あー、俺この仕事楽しくて仕方ねーわー」と言っていたら、彼はもちろんその仕事がつまらないと感じている。これは日々友人や家族、上司や取引先の方との会話を繰り返すことで磨かれていくパターン認識のスキルだ。

 アスペルガー症候群の人々は、知能(特に学歴)や各種スキルには全く異常を示さないと言われている。東大生のアスペルガー症候群所持率は一般の群より高いそうだ。ゲームが異常に得意な人がアスペルガー症候群でも全く違和感がない。むしろ実際にそうだったとしたら、どこか納得する部分さえある。彼らに与えられた能力の中で、低いのはコミュニケーション能力だけだ。

アスペルガー症候群の本質 -主題-

 何故なのか?パターン認識能力に問題を持たない彼らが、コミュニケーション能力に問題を抱える原因は?

 僕はこの問いに対してエビデンスと自信を持って明確な解答をすることはできない。もしできるなら僕は迷わず精神科医になろうと思うが、人間の秘密はそんな簡単に解き明かされるものではない。

 ただやはり適当なことを垂れ流す自由は僕にあると思うので、僕の考えを書こうと思う。「僕がアスペルガー症候群について考えた話」と題した以上、考えたことを書かなければならないと感じている。

 アスペルガー症候群は物質的(分子的)に何らかが普通とは変化した状態だと思う。そこはとりあえず間違いないと思うが、万に一つも誤解してほしくないのだが、僕は彼らを差別する意思は一切ないということを今更ながら書いておきたい。彼ら自身や彼らを取り巻く環境である僕達が、現状認識を考察を理解を深めておくべきだと思うから書くのだ。

 彼らは幼少期から、その普通とは違ってしまった分子的なあれやこれやを原因として、興味とこだわりがある事象に集中する性質を持って生まれ育ってきたと思う。これがおそらく全ての始まりで、全てはここに集約するのだ。

 「普通」、僕達はそれほどには強いこだわりを持たないし、僕達の興味が、ある1つの事柄に極端に集中することはない。元来僕たちは、小学生になる頃には、折り紙やその辺に転がっている石に対しての考察を四六時中することはない。休み時間や放課後になったら友達とその辺を走り回るものだ。中学生になるともっと顕著だ。誰それと仲良くなった、あいつと喧嘩した、あの子が好きになった。僕達の会話や葛藤はそればかりだ。表面上ゲームに夢中になったりもするが、思春期の僕達の脳裏を占めるのは、本質的には友人と異性の存在だけだ。

 多分きっとここが彼らと違うのだ。むしろ彼らが僕らと違うのだ。僕らが人間関係に思い悩む時間を、彼らは石や数式や何かの暗記に費やす傾向にある。

 10000時間の法則という言葉をご存知だろうか。ある分野の天才になるためには、10000時間をそれに費やしなさいという意味だ。僕らはきっと10000時間などではないもっと膨大な時間を思春期の葛藤に費やすのではないだろうか。その莫大に費やした葛藤の時間だけが、僕らをコミュニケーション能力者に変貌させるのだ。

 逆に彼らはその時間を別の領域に費やして、各種の専門家となる。東大に進学したりする人もいれば、著明なプログラマーになる人もいるし、超越的な芸術家になる人もいるだろう。そしてもちろん、何者にもなれない人々がいる。

 僕の友人に、おそらく診断はされていないが、しかしアスペルガー症候群と断定していいのではないかと思わせるレベルの友人がいる。彼は圧倒的なイケメンでありながら、今まで他に見たことがない程の変人だった。その2つが彼を彼たらしめる彼の輝く個性だった。彼の友人である僕たちは、彼がまともに就職できるかさえ怪しいと思っていたが、彼は一部上場企業に就職し、今立派な社会人として社会と協調しようとしている。大学時代、SNSで彼の交流を見たことがあった。彼はどうもとても悩んでいたようだった。今思えば、その悩みの時間が彼を成長させたのだと思う。

アスペルガー症候群のこれから -僕の提案-

 つまり彼らに足りなかったのは時間なのだ。思い悩み失敗と工夫と挫折と成長を繰り返す時間が足りないのだ。そうしなければスキルの成長は得られないのだから、彼らは長いスパンでコミュニケーションのパターン認識力を磨く時間を取り返す事で社会と馴染んでいけるのだ。だからきっと、本当に悩んでいるアスペルガー症候群の患者は、いつか報われる日が必ず来るのだと思う。

 では逆に、彼らにとっての外部環境である、普通な僕らに求められることとはなんだろうか。多分それは、指摘して、待つことだと思う。「そういうところはちょっと良くないんじゃないか、もっとこうしてみたらどうかな?」彼らに具体的な提案をしてみようと僕は考えている。コミュニケーションに関して、空気が読めない彼らは何がなにやらわかっていない、座標もないような状態かもしれないのだから、僕達が座標になり得るような知識を提供するのだ。こう来たらこう返す、パターン認識だ。その知識を彼らに吟味してもらい、時に僕達が彼らの進路を修正してあげることで、彼らは長い長い時間をかけてそれを反芻し、いつかその知識を自分のものとできるだろう。その時彼らのアスペルガー症候群はコントロールされ、コミュニケーションのパターン認識能力を獲得するのではないだろうか。

終わりに

 アスペルガー症候群に限らず、精神医学領域の疾患は、周囲の協力なしに自力で回復することは殆ど無いと思う。精神科医に怒られてしまうかもしれないが、とりあえず僕はそう思っている。処方された薬を行儀よく服用することで収まる事ももちろんあるだろうが、本質的に改善には外部環境の変化が必要な場合が多いと思う。思春期のうつ病や登校拒否は、イジメが原因ならそれをなくさない限り何もならないだろう。夫が家庭内暴力をやめずに妻のうつ病が治ることはないと思う。極端な例を出したが、周囲の協力が重要、という大原則は共通している。

 僕は、余裕のある人が、ない人に余裕を与える社会がいいと思っている。僕自身そうありたいと思っている。今のこの気持ちがずっと変わらず、そういう僕でいられますように。