でたらめだったら面白い

日々思いつく僕の話について適当に垂れ流しています。

僕が「ふるさと」と人体解剖について思い出す話。

今週のお題「ふるさと・夏」

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 「ふるさと」という歌がある。山でうさぎを追ったり川でフナを釣ったりするアレだ。僕はこの歌に人より思い入れがある。

 僕は数年前に人体解剖実習をさせて頂いた。解剖は僕や同級生達にとって重大なイベントだった。多分医学部6年間で最も重要な事柄だ。2年生の4月、あと半年後に解剖実習が始まるのか、と心が重くなった。9月、あと1週間後に解剖室に入ってご遺体にメスを入れることが信じられなかった。解剖実習当日、実習着に着替えて解剖棟に向かうとき、これが現実の事だとはとても思えなかった。

 解剖はいつも黙祷から始まり黙祷で終わる。その日、指導教官の合図で僕たちは初めての黙祷をした。そして、ご遺体が入っている袋のファスナーを開き、仰向けにされていたご遺体をうつ伏せに直し、メスを入れた。誰かが最初にご遺体にメスをいれなければならない。誰もが躊躇するその儀式を、自分が最初にしようと思った事を覚えている。

 解剖実習は9月から始まり、翌年の1月まで続く。週に4回、1時から5時までを目処に休憩なく行われた。当時の僕達の生活は全て解剖が中心となった。最初はあれだけ緊張し、現実感を失った僕たちは、しかし1週間程度経つだけで解剖に順応していった。人間はなんて変で、そして便利な生き物なんだと思った。人間は不思議だ。

 その時点では、僕達にとってご遺体はご遺体だった。多分僕達に、ご献体くださった方々の生前の事を考える余裕はなかったし、ホルマリンに処理されたご遺体は、生前の様を僕達に思わせる姿ではなく、僕達にとって、もっと「人間とは違う何か」であったように思う。いや、もっと正確に言えば、そう思わなければ僕達自身が解剖を続けられなかったのかもしれない。それが事実かもしれない。

 しかし、その認識は数カ月後に変わることになった。慰霊祭という催しが執り行われたからだ。ご献体くださった方のご遺族と、これから死後、献体する意志をもつ方々を招いて慰霊祭は行われる。僕はその方々一人一人について多くを覚えていない。努めて勤勉で実直な様を、ご出席くださった皆様に見せようとしていたので、僕には珍しく、周りを観察する意思がなかったのかもしれない。

 それでも何人かの人を覚えている。車椅子に乗った人が多かったように記憶している。他には、解剖学教授への質疑応答の際、マイクを持って手際よくいくつかの質問をした方がいた。おそらくどこかの企業の役員をやっていたのであろう、すらすらと質問を連ねるその姿は、僕達にその人生の重みを感じさせた。確かあの方は献体希望の方だったはずだ。

 慰霊祭では、全員で表題の歌を合唱した。つまり「ふるさと」だ。兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今も巡りて 忘れがたき故郷。あの時、あの場所にいた方々。あれからもう3年近くが経った。何人かは既にご献体されたのだろうか、と今考えた。僕の胸を何かが打った。

 僕は今でも解剖の夢を見る。自分が解剖される夢を見ることもある。なぜか解剖されている時も自分の意識があり、まるでゾンビだ、と起きた時に苦笑する。解剖の対象が死んだ祖父だったこともあった。人間は不思議だ。もう日頃特別解剖を思い出すことはないのに、それでも今も、夢が僕にあの頃を繰り返し伝えてくれている。